本文へスキップ

HPリニューアル!!

沖正弘資料館へようこそ





沖正弘先生年譜※1996年 沖道ヨガ出版「真智聖愛」巻末年表を基に作成

年号  年譜
西暦  実年齢
 年 譜  世界年表
大正8年
1919年
 出生(実際はこの時の1月)  第一次世界大戦終結
大正10年11月8日
1921 
 戸籍上の誕生日(韓国扶余市)  
 昭和8年
1933 12歳(14歳)
生家に来たビルマ建国の父・オッタマ僧正より、ヨガの名をはじめて聞く。この時、はじめてヨガに関する小冊子を読む。  国際連盟脱退
 昭和9年
1934 13歳(15歳)
 韓国・紅景商業に入学。  満州国帝政実施
 昭和10年
1937 16歳(18歳)
 父、逝去。  
 昭和13年
1938 17歳(19歳)
卒業後、満州に行く。
東京に出て、日比谷講演での首相演説会で、演壇に「異議あり!」として飛び込み、若林半先生のもとにあずけられる。
特務機関員として、第1回インド・蒙古渡航。
 
 昭和14年
1939 18歳(20歳)
 アラビア・中央アジアに赴く。
イランで捕らわれる。
「冥想ヨガ入門」(ホセイニ師)に詳述。
 ノモンハン事件勃発
 昭和15年
1940 19歳(22歳)
4月、東京・善林学校入学。
夏、アラビアに向けて出発。
 日独伊三国同盟
 昭和16年
1941 20歳(22歳)
 4月、大阪外語大学入学 この時天風会に、大阪で入会。  太平洋戦争
 昭和17年
1942 21歳(23歳)
ヨガ研修会創立。陸海軍の将軍にヨガを説く。   翼賛選挙
 昭和18年
1943 22歳(24歳)
 9月、大阪外国語大学卒業(その後、インド・アラビア)  学徒出陣
 昭和19年
1944 23歳(25歳)
 天風会・夏期練成会に参加。  
 昭和20年
1945 24歳(26歳)
鈴木貫太郎首相の随員として、三島・龍澤寺の山本玄峰老師に会う。
9月、韓国より中村家と共に引き上げ。10月に再度、韓国に渡航。
 敗戦
 昭和21年
1946 25歳(27歳)
 4月10日 福田一氏(福井県)の選挙運動を手伝う。  日本国憲法公布
 昭和22年
1947 26歳(28歳)
浦田清子さんと結婚。
26年インド出発まで、永平寺・日本山妙法寺・明鳥敏・但見の修道院・一灯園などで修行。
 片山内閣
 昭和23年
1948 27歳(29歳)
 浦田光寿氏生まれる。  極東裁判判決
昭和24年
1949 28歳(30歳 
24年まで、福井県大野市が拠点。
フィリピン政府に戦犯身代わりとして入獄を希望するも、受け入れられず。
 湯川秀樹
ノーベル賞受賞
 昭和26年
1951 30歳(32歳)
インドにユネスコ平和建設国債奉仕団として参加。
この間に、ライ病院を建設。
インド、パキスタン紛争の最中に説法及び難民救済施設を自ら建設。
ガンジーインドアシュラム体験。
インド・オリッサ州文部省教育顧問となる。
昭和28年にドイツのミュンヘン大学で大腸癌の宣告を受ける。
 平和条約調印
 昭和30年
1955 34歳(36歳)
昭和30年の暮れにインドより帰国(神戸港)。
日本CIの全身であるMIの道場長となる。
 保守合同
 昭和31年
1956 35歳(37歳)
 3月 六甲山で講習会  日ソ国交回復
 昭和32年
1957 36歳(38歳)
 霞が関書房の岡本正人氏、大塚に沖導師を訪問。
インドラデヴィー女史の講演会で行法の指導 
NASAと根本龍太郎氏に御縁ができる。
大沢愛子さん、4月に鴬谷「黎明館」を訪れる。
 スプートニク打ち上げ
 昭和33年
1958 37歳(39歳)
 大沢愛子さんとご結婚。  
 昭和34年
1959 38歳(40歳)
横浜増徳院でのヨガ活動を開始。
11月、社団法人日本ヨガ協会設立準備会。ほぼ同時に設立。
 明仁皇太子ご成婚

 昭和35年
1960 39歳(41歳)
2月「人間回復」(最初期版「ヨガ」より改題)
5月 通信講座・2号よりヨガ問答となる。
「ヨガの行法と哲学」発刊。
インドへ産経新聞特派員として赴く(愛子さん・藤井氏と共に)。
秋より、下北沢道場で活動を開始。
 
 昭和36年
1961 40際(42歳)
 7月、サチナンダ師来日 12月「ヨガ」創刊 米子市で講習。  ガガーリン宇宙へ
 昭和37年
1962 41歳(43歳)
 「ヨガの楽園」発刊。11月、スリ・シバリンガム師来日。  キューバ危機
 昭和38年
1963 42歳(44歳)
九電病院で指導。ヨガ健康寮、ヨガ研究所を新大久保に開設。
インド・サルボダヤ運動に池田運氏を派遣。
12月より、「ヨガ」小型版となる。大江健三郎氏と対談。
 ケネディー暗殺
 昭和39年
1964 43歳(45歳)
 6月より4カ月間、米・欧など世界一周 ロスの解脱会で指導。
「ヨガによる健康の秘訣」発刊。
 東京五輪
 
 昭和40年
1965 44歳(46歳)
解脱会健康指導部設立の指導。求道修行道場設立趣意書発行。
横浜・増徳院にヨガ道場落成。愛子さんと共に、ハワイ、サンフランシスコサクラメント、ロスアンゼルス(解脱会関係)で活動。導師はヨーロッパを回り、帰国「ヨガによる病気の治し方」発刊。「ヨガ・体操と呼吸の哲学」発刊。
 
 友永振一郎ノーベル賞
 昭和41年
1966 45歳(47歳)
 2月15日、母、逝去65歳。3月に帰国。増徳院に戻り、奈良正暦寺へ移動その後、一時下田にいて、冬期講習より大伊豆旅館にて講習。  中国文化大革命
 昭和42年
1967 46歳(48歳)
 1月より、三島・愛宕道場の工事開始。  
昭和43年
1968 47歳(49歳) 
 秋、読売ランドにて札幌五輪アルペン指導。
 
 昭和44年
1969 48歳(50歳)
 宗教法人として認可される。宗教法人求道実行会密教ヨガ修道場となる
「真の医療道・体育道の提唱」発刊。
 アポロ11号、月へ
 昭和45年
1970 49歳(51歳)
 「ヨガ叢書」全5巻発刊。
習志野自衛隊指導・
 大阪万博開催
 昭和46年
1971 50歳(52歳)
 「ヨガのすすめ」発刊。立正佼成会・庭野日敬会長と対談。
西鉄ライオンズを指導。国際ヨガ美療学会の発会。
 
 昭和47年
1972 51歳(53歳)
山田無文老子と対談。韓国にて、「世界平和の道」の対談。   札幌冬季五輪
 昭和48年
1973 52歳(54歳)
東京青山連絡書開所。ブラジル・ヨガ大会に招待を受ける。  
 昭和49年
1974 53歳(55歳)
東京朝日カルチャー 沖ヨガクラス開設。映画「生きている」撮影開始。
12月、アフリカでサファリをする。 
 
 昭和50年
1975 54歳(56歳)
 田中角栄氏の指導。愛宕道場火災で焼失。三島・沢地道場改築。
「冥想ヨガ入門」発刊。11月、第1回沖ヨガフェスティバルを開催。
 
 昭和51年
1976D5歳(57歳)
下田道場完成:第1回シャカ・ジナ塾開催。スルガ平地鎮祭。
映画「生きている」完成(制作者:野田克彦)「ヨガ総合健康法」発刊。
下北沢第1回指導者養成講習会を開催。
インド・パンチャギーニヨガ大会に招待を受ける。
 
 昭和52年
1977 56歳(58歳)
沢地道場新改築。「なぜヨガで病気が治るのか」発刊。
横須賀カルチャーセンター開所。東宮御所で指導。
 
 昭和53年
1978 57歳(59歳)
「実践冥想ヨガ」発刊。「ヨガによる生きる喜びの発見」発刊。
「ヨガ修正法」発刊。土佐堀道場、名古屋冥想道場開設。
 
 昭和54年
1979 58歳(60歳)
 中曽根康弘氏指導。「ヨガの喜び」「生きている教育」発刊。  
 昭和55年
1980 59歳(61歳)
国際総合ヨガ世界大会を開催。全世界より8千人が参加。
京都・名古屋・東京・三島の4会場にて開催。「菩薩道入門」「真のヨガ」発刊。
 イラン・イラク戦争
 昭和56年
1981 60歳(62歳)
求道実行会・沖ヨガ捧愛団・沖ヨガファミリーシステムの「3つの会」を提唱長浜開設。アイアンガー導師セミナーを開催。  
 昭和57年
1982 61歳(63歳)
 1月、聖愛者宣言。ジャイナ教(ラドヌーン)にて講演。  
 昭和58年
1983 63歳(65歳)
下田沖ヨガ研修所(真智聖愛会館)にて「宗教の原点に遡るセミナー」を開催。ナットマル・タチヤ博士、水野弘博士の講演。  
 昭和59年
1984 64歳(66歳)
 第1回ライフエンカウンターセミナー。全世界より20カ国、180名が参加  
 昭和60年
1985 64歳(66歳)
7月5日、真智聖愛集団立教宣言。7月25日午前10時、ペサロにて入定。
「生きている宗教の発見」9月に発刊。密葬・本葬(葬儀委員長・根本龍太郎氏)
 

沖正弘著作リスト(公開予定のもの)

  1. 人間回復への道T(公開中
  2. 人間回復への道U(〃)
  3. 生きている宗教の発見(次月公開)
  4. 菩薩道入門(〃)
  5. 夫婦のヨガ安産(〃)

主催

求道実行会

〒411-0043
静岡県三島市沢地450-1
TEL.055-986-5655
info@okiyoga.org